時間に関わる感覚や認識の一つ、現在の消費と将来の消費を天秤にかけたとき、将来の消費によって得られる効用を割り引くという、「時間割引」はおもしろい概念だ。
将来のことは誰にもわからない。それでもなお、アリとキリギリスの逸話が引かれるように、現在の努力や忍耐が将来の礎になるだろうという予感や信念は、それなりにもっともだ。ところが、このもっともらしさを体感できない場合、あるいはそれを支える「真理の体系」が見えない場合、人は現在を過大にとらえ、将来を軽視する傾向をもつ。
この着眼をヒントにすれば、学校のビジョンについて二つのことが言えるように思う。
その一つは、まだ見えない将来に向けて、子どもたちをどのように動機づけるか、たとえば「役に立つから」という理由とは異なる「将来への投資」と、ある意味で割り切った関わり方がいかにできるか、もう一つは、現在の捉え方が多分に過大であるという前提に立って、環境分析とそれにもとづくプランづくりに対するコストを抑え、より創造的・創発的な方向でのコストを拡大するかを考えるべきではないか、である。
時間割引率の低い子ども、4歳のときに目の前にあるマシュマロを食べずに我慢できたら、もう一つあげるという実験に「合格」した子どもは、高校卒業後の追跡調査で対人能力に優れ、成績も優秀だったという調査がある。この知見にしたがえば、一見博打のようにも見える将来への投資(ここでは、消費の抑制)を想像あるいは「思い込み」のできる力が重要といえるだろう。
先の一点目に戻ろう。子どもをいかに動機づけるか、そこには時間割引の見極めが重要だ。子どもに将来の利益のもっともらしさを強調できる時期ならば、「大きな物語」を。そうでない時期になっているならば、直截的な「役立ち」あるいは「おもしろさ」を。両者を区別することが大切になる。
そして二点目。現状を過大に捉えず、「とりあえずの」ものと理解すること、そしてこれから起こることに期待して、長期的な時間幅で学校の活動を見ようとすること、これは、伊那食品工業の塚越社長が強調する「年輪経営」にも通じるものだろう。
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