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ねこっかぶり
2009年4月6日月曜日
桜が満開です
都市部でも桜の木はちらほら見ることができます。近所の桜もそろそろ満開、新しい1年がまた始まりますね。
散歩道、しばし見上げて帰ったら、Maiの鼻に桜の花びらが…。
早く取ってほしかっただろうに、馬鹿な飼い主は先にカメラを取りにいったことです。
みなさんのところの桜も今が盛りでしょうか。
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自己紹介
うに
大学で教育学、とくに公教育経営学の分野を研究。そして学校教員の養成と研修に携わっています。以前のブログについては、http://walk41.blog.drecom.jp/profile をご覧ください。 なお、niftyHPに以前掲載されていた、ご挨拶は次のようです。 ----- HP開設のご挨拶 教育論議はいつの世もにぎやかで止むことがありません。その教育の代表格ともいうべき学校は、「教育は人なり」とも言われるよう教育スタッフによって担われています。 わたしの関心は教育スタッフにあります。とくに彼らのリクルートメントと配置、人的資源の投下と効果、職能の開発と評価、やりがい・満足と健康についてなど、学校教職員の「よりよい」あり方を追求することです。 この問題を深める際、考える方法には2種類あります。その1つは、問題を改善・解消するための処方箋を考えること、つまり、問題を構成している変数を整理し、それらをどう操作すれば事態が変わるのかを考えることです。もう1つは、ある事実がなぜ「問題」と捉えられるのかを考えること、つまり問題の改善・解消を直接に目指すのではなく、なぜ私たちはそれを問題だと認知するのか、その見方は何に影響されているのか、自分自身を問い返すことです。 よって、教育や学校の問題を考えるということは、つぎの2つとも言えるでしょう。その一方は、「こうすればできる」とある事例を他の事例にも当てはめて考えようとする、教育行為の再現性を前提に応用(application)をねらう方向であり、他方は、「ここではそのように見られている」と再現性を前提にせず、問題の意味づけ・含意(implication)を解きほぐすことで異なる見方を試そうとする方向です。この2つは両価的(ambivalent)なので、認知上ややこしい作業が求められます。教育論議が混乱しがちなのは、これらが絡まっているためかもしれません。 教育学に対する以上の理解から、わたしは公教育経営論という名前のもとに、学校経営、教育行政、教師教育の領域で「学校と教職員のあり方」を研究しております。 関心ある方からのご意見・ご批判をお待ちしています(2003年10月記)。
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