2010年5月6日木曜日

輸血をしてもらいました

犬フリークのみなさま、お元気でお過ごしでしょうか。

拙宅のMaiのことでは、何かとお騒がせをしています。

関西に戻って5つ目の動物病院にて、ようやく光を見たように思います。

人間並と思われる機器を備えているだけでなく、ベテランから若い方まで数人の獣医さんがおり、動物介護士のスタッフとともに、てきぱきと検査、判断、今後の方針が決まります。飼い主とのコミュニケーションも柔軟です。受付の方の薬の説明も丁寧、わからないことはすぐに獣医さんに確認してくれます。費用の内訳も明確、カード払いもできますよ。HPには当番表も載せてくれています。なんでここに最初から来なかったんや。

去る2日、Maiの歯茎が真っ白となり、トイレに連れ出してもへたり込んでしまうほどとなったので、急遽また病院に駆けつけました。血液検査から、前回をさらに下回るほどの極度の貧血であることが判明。このまま薬を投じて炎症を抑えつつ様子を見るか、それとも一度きりと考えて輸血をするか、とたずねられたのです。

このままでは命が持たないと思い、ぜひ輸血をとお願いしました。人間と違って血液バックが常備されている訳ではなく、元気な犬から直接に血をもらうのだと、16年も犬を飼っていながら初めて知った次第です。インターネットを見ると、動物病院で大型犬をいわばドナー犬として飼っているほか、飼い主に供血してくれる犬の登録をお願いしているところもあるのですね。飼い主の方々の篤志は大変なものだと思わされます。

そのまま預け、その夕方、順調に終わりましたと電話をもらい、迎えに行きました。220㎜リットルもの血を輸血してもらったとのこと、かかった7時間くらい、血をくれた犬はMaiの横でおとなしくしてくれていたのです。ありがたいことです。

それから4日、幸いにMaiはずいぶんと元気になりました。消炎剤も効いているのか尿も透明感があります。腎臓の調子もいいのかも。食欲もまずまず(口まで運んでやらないと食べない我が儘ではあるものの)です。体力の回復が何よりですし、たくさん造血してくれたらいいのですが。この先もあまり楽観はできないけれど、頑張れるだけがんばってほしいというくらいでしょうか。

まずは以上のご報告にて。
貴重な血をいただき、大切な命の一部を頂戴したこと、感謝です。

2010年5月4日火曜日

時間割引と学校のビジョン

時間に関わる感覚や認識の一つ、現在の消費と将来の消費を天秤にかけたとき、将来の消費によって得られる効用を割り引くという、「時間割引」はおもしろい概念だ。

将来のことは誰にもわからない。それでもなお、アリとキリギリスの逸話が引かれるように、現在の努力や忍耐が将来の礎になるだろうという予感や信念は、それなりにもっともだ。ところが、このもっともらしさを体感できない場合、あるいはそれを支える「真理の体系」が見えない場合、人は現在を過大にとらえ、将来を軽視する傾向をもつ。

この着眼をヒントにすれば、学校のビジョンについて二つのことが言えるように思う。
その一つは、まだ見えない将来に向けて、子どもたちをどのように動機づけるか、たとえば「役に立つから」という理由とは異なる「将来への投資」と、ある意味で割り切った関わり方がいかにできるか、もう一つは、現在の捉え方が多分に過大であるという前提に立って、環境分析とそれにもとづくプランづくりに対するコストを抑え、より創造的・創発的な方向でのコストを拡大するかを考えるべきではないか、である。

時間割引率の低い子ども、4歳のときに目の前にあるマシュマロを食べずに我慢できたら、もう一つあげるという実験に「合格」した子どもは、高校卒業後の追跡調査で対人能力に優れ、成績も優秀だったという調査がある。この知見にしたがえば、一見博打のようにも見える将来への投資(ここでは、消費の抑制)を想像あるいは「思い込み」のできる力が重要といえるだろう。

先の一点目に戻ろう。子どもをいかに動機づけるか、そこには時間割引の見極めが重要だ。子どもに将来の利益のもっともらしさを強調できる時期ならば、「大きな物語」を。そうでない時期になっているならば、直截的な「役立ち」あるいは「おもしろさ」を。両者を区別することが大切になる。

そして二点目。現状を過大に捉えず、「とりあえずの」ものと理解すること、そしてこれから起こることに期待して、長期的な時間幅で学校の活動を見ようとすること、これは、伊那食品工業の塚越社長が強調する「年輪経営」にも通じるものだろう。

2010年5月2日日曜日

Give&Given

編み機の世界トップを誇る和歌山の島精機。テレビで拝見する社長の島氏は、魅力に溢れている。

あまたの発明アイディアの源泉はとたずねられ、ハングリー精神と答えた氏は、続く、「どうすればハングリー精神を持ち続けられるのか」という問いに、「たくさん寄付をして、自分の手元にお金を残さない」旨を話する。そして、その根本には、Give&Given、人に与えればいっぱい返ってくるという発想があるというのだ。

Give&Take が交換関係を示すとすれば、Give&Givenは先をアテにしないでいるとも言えるだろう。ならば、この反対、Take&Takenも言えるかも。「ほしい、ほしい」ってやってたら、いっぱい奪われるということ。

いずれの関係であれ、群れの生き物人間だからこそ、起こる不思議なことのように思う。あなたはいずれを選びますか。