2010年1月29日金曜日

骨折だったとは…

犬フリークのみなさま(ねこフリークの方も)、こんにちは。

この間、拙宅の犬、Maiのことではお騒がせをして恐縮です。

すでにご報告した「問題獣医」を去って、次の獣医さんを急いで求めました。研究仲間の一人が、神経系かもしれないから診てもらったらとアドバイスしてくれたのがきっかけです。

「ここはどうかな」と以前から看板だけは見ていた病院に。繁盛というべきか3組ほど先客あり、「これは期待できるかも」と待つこと30分。若手と中堅の間という感じの獣医さんでした。

触診した獣医さんは「靱帯が切れてますね」と一言。「はあ~」。犬によっては飼い主に飛びついた際に2本脚で立っただけで切れることもあるらしい。そうなのかあと思いながら、「直すのは手術ということになりますが、年齢のこともあるし身体全体を診て考えなければならないので、前の病院のデータをもらってきてください」という声をぼんやり聴く。あの獣医のとこにまた行かんとあかんのかと、いたく滅入る。

(中略)

再び夜に診察に。腰までレントゲンを撮ってもらい、原因が判明。なんと大腿骨が折れていました。午前中の判断は間違いでしたと獣医さん。触診だけではわからんのやなあ。どうやら、最近折れたのではなさそう。かなりの力がかからないと折れませんが、と言われても、いつなんでなったんか、さっぱり見当がつかんけれど。

ネジを入れたり板をはめたりという手術の場合、若い仔でもくっつくのに1年くらいはかかるとのこと。温存療法といういわばそのままにしておいても、骨は付こうとするから、それも一つの選択肢ですねと意見をもらう。

犬の体重の7割は前にかかるのだそうで、3本脚でも歩けるとは初めて知る(ボール投げの遊びはできないけれど)。あとは生活上の負荷をかけないように気をつけてやるくらいかな。

変な話ですが、骨折とはいえ理由がわかってほっとしました。さほど痛がっていないこと、皮膚を突き破るほどの骨折ではないこと、元気で食欲もあること、から、まずは様子見とします。

16歳近いのは、人間で言えば80歳、しかるべき時間を重ねたということかもしれません。
ご心配をおかけしました。

みなさんのご家族にも穏やかな時間が流れますように。

2010年1月27日水曜日

「生きて働く学力」になっていなかった

横浜市緑区の市立中学校の教諭が、学校の備品のDVDプレイヤー1台、およそ5000円相当を盗んだとして、警察に逮捕された。数学科の教諭(57)はDVDプレイヤーに学校の名前が書いたシールが貼ってあったまま、質屋に持ち込んだとのこと。「借金や、子供の養育費で金が欲しかった」と供述しているという。(1月27日、TBS)

数学の教師なら期待値を考えなかったのだろうか。質屋で受け取れたかもしれない額…①と、自分がつかまらず予定されていた退職金を得る額…②のそれぞれについて。

①は5000円を上回ることはないので、最大限5000円。
②は大学卒業後間もなく教職に就いていれば、1500万円ほどは見込めるだろう。

①と②の比率は1:3000となるので、①を選ぶには、確からしさが②の少なくとも3000倍なければ合理的な行動とはいえない。しかし、②の方がはるかに確率が高く、反対に①の方の確率が低いことは明瞭だ。

かくして、この御仁はきわめて非合理的な判断をしてしまった。「何のために数学を学ぶのか」…自らに問いが発せられたときに、その答を示してほしかったのだが。


2010年1月25日月曜日

脚は動く!

犬好きのみなさま、

拙宅のMaiの後ろ右脚が地面に着かず、不自由ながらも3本脚で散歩をしていると、先日ご報告をしました。

今夜ストーブの横で気持ちよさそうに眠っているMaiを見てびっくり。くだんの後脚のつま先(指先?)がぴくぴく動いているではありませんか。

ときどき眠っているときに、前後ろの脚が動くことがあります。寝言と思しき声を出すときもありますよ。きっと思いっきりどこかを駆ける夢を見ているのでしょう。

おそらく今回もそんな夢の最中だったのか、Maiの脚が動きました。ということは、脚そのものの問題というよりも、その上部、腰の辺りの不具合なのか…。

とまれ、われわれには朗報でした。今しばらく様子を見て、「良い獣医さん」を捜したいと思います。3本脚で歩くって、結構疲れそうなので。

中国でもディプロマ・ミル

中国で学術論文の代筆ビジネスの横行に関する調査結果がまとまったという。その“市場規模”は昨年、10億元(約130億円)。

論文は経済学から医学、法学など多方面にわたり、大学生の卒業論文は1本1000元(約1万3000円)。修士課程論文は3500元(約4万5500円)から、ホワイトカラーの月収にほぼ相当する5000元(約6万5000円)程度までの値段で販売されていたとのこと。昨年は、修士以上の学歴をもつ80人以上を雇って論文を代筆させ、論文を大量販売していた武漢市内の「論文会社」が摘発された。
2010年1月25日、読売新聞より)

アメリカでの学位製造工場(ディプロマ・ミル)については、小島茂『学位商法―ディプロマミルによる教育汚染』九天社、2007、があるが、学歴主義が機能している地域ではどこでも起こることなのだろう。

ただし、今回の報道は論文を売るというもので、学歴を売ることとはちょっと違う。後者は大学が「主犯」であり、問題の製造元なのだが、前者は、製造された論文を審査する大学が極めてちゃらんぽらんということになるからだ。

つまり、提出された論文を査読し、試問を経た後に学位が授与されるのであって(中国では違うのかしらん)、多くはゼミ生として知っている学生から出される論文だ。その学生が書いたものかどうかについて、問題の設定から先行研究の紹介、データの集め方から分析の手法やその解釈に至るまで、指導している教員がわからないということはあり得ない。そもそも論文はいきなり提出されるのではなく、少しずつ書かれていくもので、全体ができてからも何度も書き直すのが常だから、一度も経過を見ずに出されるのは不可能と言ってすらよいだろう。

仮に「飛び込み」で論文審査ということもありうるが(多くは博士論文だと思うが)、その場合でも試問をすれば、研究テーマが当人の問題となっているのか、どうやって作業を進めたのか、見抜けないことはない。つまり、今回の問題は、論文作成会社が存在するというだけでなく、学位を審査する大学そのものが学術的に怪しいということを示唆している。

学位論文は言うに及ばす、授業でのレポートですら、どこからか黙って引用していればすぐにわかる、それが普通の大学教員だと思うのだが。

2010年1月24日日曜日

4本中の3本は、75%ではなかった

しばらくご無沙汰しました。

今週は拙宅の犬、Maiのことであたふたしており、落ち着かずでした。

というのは、以前からちょっと変だなあとは思っていたのだけど、右の後ろ脚がぎくしゃくというか、不自由な感じで歩くことがあり…。

それが、とうとうかどうかはわからねど、その脚を地面につけて歩けなくなり、3本でよろよろという状態になってしまったのです。階段を下りることを嫌がり、それでも下ろしたら身体のバランスを保つことができずに、どすんと落ちてしまったことも…。 骨折? 内出血?…素人が頭を巡らせても仕方がなく、10年以上前に、実家に預けていたときに行ったことがあるよと聞いた獣医に連れて行った次第です。

ところが、ところが、血液検査、点滴、フィラリア検査、レントゲンと、あれこれ検査や治療をしても、原因は見つからず。

「血液検査でだいたいのことはわかりますよ」「犬には辛いだろうけれど、レントゲンで見れば判断できるでしょう」などと豪語した(はっきり言わせてもらおう)ヤブ獣医は、結構な額の治療費を請求しながら、何も言えず。あなたねえ。

なんせ、患畜に触ろうとしない御仁で、ほんまに診る気あんのか、と毒づきたくなるような状況ですらあったんよ(急に関西弁で恐縮)。4回目はMaiを連れて行かず、レントゲン結果の説明を聞きにだけ行った。「折れてはいませんね」。はあ、まあ。画像を見れば素人でもおおよそわかるわな。

最後の台詞は「安静にしてもらったほうがいいでしょう」やった。それくらいやったら、ワシでも言えるぞ。そんなとこに、乗りかかった船とはいえ、何度も行ってしもうた。情けない。

とまれ骨折はなし、血液検査でも特段の異常なし、はわかったので、しばらく様子見です。触っても嫌がりはするが痛がるようには見えず、暖かく血流の問題も感じられず。

レントゲンを撮られた日のMaiはすっかりぐったりしていたけれど(無理な体勢を取らせるので)。今日あたりは元気になり、徐々に慣れてきたのか3本の脚でぴょこぴょこ朝も歩いてきました。良く食べ、良く水も飲み、排泄もよく、おとなしく眠り、と快調だけど、歩く格好は痛々しい。4本が3本になったら、その機能は半分にも遠く及ばんなあ。筋肉が落ちないように気をつけたいと思います。

獣医さがしは難しい。良い獣医さんはどこにいるんや!?

2010年1月16日土曜日

「揺れなきゃだめだ」

阪神大震災15年目が目前、テレビが震災特集を報じていた。

そこに映った宮大工の一言。「揺れなきゃだめだ」と師匠から教わったという。
法隆寺など1000年を越えるものすらある木造建築に、こういう智恵が含められていたことに驚かされる。

「揺れ」が環境の変化に対応することだと捉えれば、組織も似たようなものと見ることができるだろう。組織の外そして中の環境の変化がしばしば起こることを前提に、しなやかなことがきわめて大切なのだとわかる。

組織を「一丸となって」と強固にイメージするよりも、ゆらぎを自らも起こすことができるようなものと喩えること、環境変化がより激しい学校という場を捉える上でより説明的ではないだろうか。

2010年1月11日月曜日

ここまでくつろがんでも…


ねこフリークのみなさま、こんにちは。

まだまだ寒い日が続きます。

拙宅のねこは、ストーブをつけると我先にとその前に敷いてある座布団を占拠しますが、気分屋なのか、いつもという訳ではありません。気がつけば2階に上がっていたり、ソファにいたり…。

その中でも、ほぼ間違いなく、いつもストーブの前にいたがるのが、今年10歳を迎える「あずき」です。

くつろいでますなあ。まあ気持ちがいいんやろうね(^^;)。

いつもの通り、飼い猫ばかのお話しでした。失礼。

授業のバランス

2回生がほとんどの授業にて課した学生のレポートを読んでいる。

課題の末尾にこの授業に対する評価を求めているが、「驚きの連続だった」「考える授業だった」「先生の授業はいつもみんなをとてもひきつけてくれるので、周りがとても静かでみんなが集中していたと思います」「一度私の頭の中で確立していた教職または教育のあり方というのものが壊れていって、この講義を受ける度にまた構築されていく、不思議な感覚だった」といった記述を、大変嬉しく思う。こちらのねらいをほぼ受け止めてくれているからだ。

教えられるだけでは学べない、しかし教えられなければ学べない。この両者のギリギリのところを何とか歩くことができていれば及第点と考えているが、教員が一方的に話し、黙ってノートを取るスタイルにまったく慣れた学生たちにとって、少なくとも授業のはじめ数回は相当の混乱や困惑があるようだ。

「学生が自ら学ぶ」とほったらかしではなく、かといってかれらに考えさせ、振り返らせる時間やヒントを与える間もないほどに教えるのでもなく…。この両義的な姿を自分の授業でそれなりに表現できるようになるまで、私は長い時間を要したのだった。

2010年1月9日土曜日

嬉しかったこと

週に1度、非常勤先での授業がある。2クラスを担当しているが、うち1つは100名を超える大規模なもの。色画用紙に書いた自分の名札を毎回出すように言うものの、授業者が名前を覚えるのは容易ではない。

このクラスの一人が、「レポートを書いているのですが、読んでもらえませんか」と12月に話をしにきた。聞くと私の授業で触発されたことがあり、自分で調べてみようと思い立ったという。

どうなるかと思っていたら、ちゃんと持ってきた。A4で15枚ほどのボリュームである。

「おわりに」から目を通すと、女性教師の女子生徒と男子生徒への接し方はおそらく違う、という私の授業での言葉から自分のレポートが始まった、とある。読み進むと、女性教師は感情的でヒステリックなイメージが自分の中にあったので、女性教師があまり好きではなかった、と自身の経験が綴られている。なるほど、だから先の発言が自分の興味に重なったんだなと合点できた。

彼女の持ってきたレポートはこの授業の成績と何ら関係ないし、他の授業での課題でもないという。自分で関心を得て、手探りながらも文献にあたり、自分なりにひとつまとめたことを高く評価したい。また、そのきっかけに自分の授業がなりえたことを嬉しく感じている。

2010年1月8日金曜日

「反面教師」健在

正月特集の流れかどうかはわからねど、テレビの長時間番組、かなり過激なダイエット番組を見た。

1ヶ月やそこらで数十㎏体重を落とすという試みだが、あのやり方はあまりに無茶ではないかと家人に言うと、あれほど体重がある人ならば大丈夫では? と返す。1ヶ月なら3㎏も減れば、身体の変化としては結構大きいと思うのだけれど、本当にあとあと何もないのだろうか。

とまれ、数ヶ月でウン十㎏を落とそうとする人の努力は涙ぐましい。今それほど頑張れんやったら、なんでそうなるまで増えたんや、と思わず突っ込みたくなるが、覆水盆に返らず、仕方がない。まあやるんやったら気いつけてね、と願わずにはおられない。

さて、そこで気づいた。ダイエット番組って、痩せるための努力に感銘を受ける面もあるだろうけれど、「あそこまで増えたらあかんなあ」とか「何でそこで食べるんや」といった気持ちが多分に生まれないだろうか。

あるいは、部屋や家が散乱する「ごみ屋敷」を特集する番組を見て、「あそこまでは汚さんとこ」とか「恥ずかしないようにしよ」といった気持ちを持つことはないだろうか。

もし、そうした面もあるならば、それは立派な「反面教師」と言えるだろう。当人のつもりとは別に、反対の行動をとろうとする契機を与えてくれるものだ。

教育論は多分に「良い」ことを示すことで、それを模倣あるいは規範にしようという論理を構成しがちだ。これとはまさに逆説めくが、この反対「良くない」ことを示すことで、結果的に望ましい効果を期待することもできるのではないだろうか。

おそらくは。順接と逆説の両方がいずれも存在すること、そのややこしさが教育の不思議さやおもしろさではないか、と今さらながらに感じている。

2010年1月7日木曜日

全身スキャンに賛成?

昨年末、アメリカ行きの飛行機の乗客となり、身体に爆薬物を巻き付けたテロが、間一髪のところで未遂に終わった。

現在、空港で乗客の全身スキャンを行う装置を広範に導入しているのは唯一アメリカであり、この他にイスラエル、ロシア、オーストラリア、スイスにおいて、路線や機種を限定しながらも全身スキャンが実施されているという。

論点は大きく2つあり、その一つは、スキャンによる健康被害の可能性についてだが、より難解な点はもう一つ、個人のプライバシー保護を危うくするのではないか、ということだ。

スキャンによって、義手や義足、あるいは人工臓器などが赤裸々となることは、恥ずかしさの限界を超える、という意見はもっともだ。その一方で、係員による身体検査しかなければ、非金属性の武器がゲートをすり抜ける可能性がより残る。むろん、このスキャンによってテロを(ほぼ)完全に抑止できなければどうするのか、という次の問題も挙げられる。

これも正解のない問題だと言えるだろう。あなたはどちらを選ぶだろうか。それとも第三の道を見つけられるだろうか。

2010年1月6日水曜日

「表現の自由」論再燃

年の初めにも、大きな出来事があった。

ムハンマドに火の点いた爆弾の形をしたターバンを巻いたような風刺をしたデンマークの画家、Kurt Westergaard氏が、斧とナイフをもった27歳のソマリア出身のイスラム教徒に自宅を襲われた。5歳の孫娘とともに浴室に逃げて鍵をかけた彼はどうにか難を逃れ、駆けつけた警官が犯人に発砲、逮捕したという。

2005年の風刺ではイスラム教に対する冒涜と世界的に非難が起こり、彼や他の画家に対する抗議として、150名もの自殺があった。現在75歳になる彼は、このことに責任を感じているとも後悔の念を示すとも述べておらず、表現の自由を守るための寄稿と自らの作品を位置づける(以上、http://www.sueddeutsche.de/politik/による)。

デンマークにおける「異文化」や「外人(よそ者)」に対する見方、というバイアスを考慮しなければならないが、一般論として捉えるならば、「ペンは剣よりも強し」とペンを振るわれた側にとっては、「弱い」剣で立ち向かわざるを得ないとも言えるだろう。この一方で、「いかなる場合も暴力はいけない」という主張も可能だろうし、「ペンによる暴力は含まれないのか」と反論も可能だ。

自分の自由と他者の安寧は両立するのか。何十年と経っても、常に同じ基本問題に戻らざるを得ないということなのだろう。

2010年1月5日火曜日

充実感を味わう

正月も開け、いよいよ新しい年が始動しました。みなさんは、どんなスタートを切られたでしょうか。

こちら、「年の初めの…」に倣って、これまでとちょっと違ったことをしているところです。決して大げさなことでなく、何ということもないのですが、「(敢えて)ゆっくりとやる」という感じでしょうか。去年まででしたら、一定の時間で「なるべく多くのことをする」という姿勢が強かったと思います。これをいわば逆転させて、仮にさっとできるようなことでも、(わざと)ゆっくり、丁寧にやろうとしています。

みなさんからは「何をいまさら、そんなことに気づいたの?」と言われそうですが、こんな風に自分の振る舞いを少し変えることで、充実感がより得られるのではないか、と楽しみにしているところです。

これまでは、どちらかといえば、たとえ、あたふたしながらであっても、多くのことをこなすことで充実した気持ちを持てるのでは、と何となく思ってきたのですが、むしろ、一つひとつのことに丁寧に向き合うことで、そのモノの性質や人となりをより見ることができ、かえって豊かな気持ちに慣れるのでは、などと遅ればせながら思っているところです。

慌てずゆっくりと、おざなりにしないで、自分が出会うものや人に向かいたい。そんな気持ちにいます。「青臭い」話で恐縮でした。

みなさんにも充実した日々が訪れますように。

2010年1月4日月曜日

ねこの押しくらまんじゅう


ねこフリークのみなさま、すっかりご無沙汰しています。

さて、何の写真でしょうか。ねこファンの方には明々白々ですね。

冬と言えばやっぱりねこ(何のこっちゃ)。寒がるねこがお互いを暖め合う時期となりました。

拙宅の4匹も日頃の諍い(それほど大げさなものではないけれど)を越えて固まっています。これでも微妙に人間関係(ねこ関係)が投影されており、それなりにくっつきたがる仔とそうでない仔がいるのですが…。

とまれ、みな元気に過ごしています。みなさんのねこにも安寧の時間が流れますように。

2010年1月3日日曜日

フィンランドでまた銃乱射

大晦日に痛ましい事件が起こった。

フィンランドで2番目に人口の多いEspooという都市にて、かつての恋人に近づかないよう命じられていた43歳のコソボ出身の男が、この女性と彼女の同僚ら5人を射殺、その後、自分の部屋に戻り、銃で自殺した。警察は人間関係のもつれによるものと見ている。この日に予定されていた町主催の大晦日コンサートは、中止になったという。

2007年、2008年にもフィンランドでの銃乱射が起こり、銃規制を強めるべきと声が挙がっていたそうだが、530万人口に対して160万丁の銃、他国に例をほとんど見ないほどの銃があるとのこと(以上、http://www.tagesschau.de、による)。

学力問題に絡んで「豊かな国、フィンランド」と評する人に即、答を求めるのは酷だろうが、こうした側面も踏まえなければならないならば、いかにグローバル化したとはいえ、なかなか他の地域のことは(自分たちの地域のことですら)わからない、とも考えるべきなのだろう。

2010年1月2日土曜日

和独折衷おせち?


拙宅のお節は、日本的でもあり、ドイツ的でもあります。というのも、パートナーが彼の地で得たヒントをもとにあれこれ作るため。

今年のメニューには、白魚と林檎を生クリームであえたものが新たに入りました。北ドイツで食されるそうですが、けっこういけます。ザーネがからんでいるので生臭くなく、ワインにも合いますよ。

料理に群がる犬とねこを適当にあしらいながら、元旦の食事を終えました。ふう、くたびれた(^^;)

みなさんのお家のお節はどのようですか。

2010年1月1日金曜日

新年おめでとうございます


昨年後半は休みばかりで、およそブログの体をなさず、反省しきりです。
こちらを覗いてくださった皆さま、2010年は心機一転、ご期待くだされば幸いです。

昨年の12月、まったくの休暇でドイツに行ってきました。
初めてドイツに訪れてから、すでに20年少しが過ぎました。その間、いくつかの出会いがありましたが、いまや行くところはほぼ決まっており、そこへはもはや旅行というよりも帰省に近い感じです。

それなりに慣れ親しんだ所とはいえども、いまなお新鮮な発見はあるのが興味深いところですが。

たとえば、家族のあり方について。

あるお家にお邪魔しましたが、ご夫婦はいずれも離婚を経験して、現在はいわゆる内縁の夫婦(ドイツ語では、Lebensgefaehrde, と言いますが、生涯を連れ添う、という感じでしょうか。)今のところ結婚はしていません。この二人のところに、それぞれの子どもが集まります。お父さん方の子、お母さん方の子、ということですね。さらにすでに成人となった子どもの中には、離婚して子どもを連れた女性と内縁の夫婦となっている人もいます。この女性は子どもを元夫のところに預けて、今の彼とやってきました。

かれらは、たとえばクリスマスパーティーに集い、ともに食事をしておしゃべりとゲームに興じるのです。こうした人たちが、遠慮しあうことなく互いの愛情を示し合っていることを不思議にも、また羨ましくも感じます。