関西で放映しているNHKの「ルソンの壺」、元気な会社の社長が登場する。
和歌山のエジソンと呼ばれる島社長は、編み機の発明家だ。
軍手を縫い合わせる内職に苦労する母親を助けたいと思ったのがきっかけだったというが、そののち軍手が機械にはさまって腕を失ったり命まで落としたりすることを知って、改良された軍手を考案するところを、とても興味深く見た。
当時は「機械の使い方に問題がある」と人の働き方を批判する声が大きかったらしいが、これに対して島社長は、軍手の脱げにくいことが問題だと逆転の発想をして、手首にゴムを入れた軍手を作り出す。
教育論議も多分に似たところがある。「~しなければならない」という矛先はたいていそこで働く人に向けられる。「意識を高めることが必要だ」「気持ち新たに取り組むことが重要だ」と。たしかに、頑張れば何とかなるところもある。しかし、これを仕掛けとして維持するには十分とはいえない。
ある意識をもつということは、そうなりやすい環境が伴っている。その環境に適応した結果としてある事実が生じる面を考えるなら、「主体性」という言葉で環境を軽視するのではなく、まず起こっている事実を「合理的」なものとして捉えることから始めなければならない。
こうした発想を促すためにも、なるべくお説教や励ましを避けること、頑張れば何とかなるのは限られた場合だと観念して、「なぜそうなっているのか」を分析すること、一見遠回りに見えることが実は近道だったりすることを思い返すことが大切ではないだろうか。
「急がば回れ」「負けるが勝ち」「沈黙というおしゃべり」「計画は計画通りに行かない」…逆に考えると見えてくる、おもしろいことがきっとたくさんあるだろう。
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