大相撲の秋場所千秋楽で優勝した朝青龍が、土俵でガッツポーズをとったことが問題となり、親方らが謝罪したという。
標題はある審議委員の言葉、とてもおもしろいなあと思う。
スポーツとは非日常という意味。神事もまあそういうところがあるから、神事かスポーツかの違いを議論しても仕方ない。だから、土俵で感情を露わにすることの是非について、意見が異なる状況にあるという理解でよいのではないだろうか。
ところ変わってマレーシアでは、ズボンをはいてレストランで食事をしていた女性が、わいせつ罪で逮捕された。脚の線が強調される服装はイスラムの教えに反するそうだ。
何だかんだと偉そうぶる口調の輩、自分の規範がナンボのもんかと考えてみい、と言いたいな。
まあいずれもええ加減なもんや、と笑い飛ばせればええんやけど、「これは特別や」なんて選民思想にはまったら、どこぞの国の「神風精神」がまたぞろ、ちゅうことやで。おっかないこっちゃ。
4 件のコメント:
力士自給率がズドーンと落ちちゃった段階で、相撲「の起源」は神事だけど、単なるスポーツもとい興行になりました。
朝青龍の決定戦、いい相撲でした。
おそらくは選民思想というほどのものでもなく、外国人力士への嫉妬と日本人力士への失望や自己嫌悪がないまぜになった感情なのでしょう。自分にもそういうのがないわけではないのが悲しい。
もう日本には神風は吹きませんね。(^_^;)
みのりんさん、お久しぶりです。
失望や嫉妬のないまぜゆえ、なるほどと思わされます。だから、焦るほどに発言が過激になるのですね。
わたしの今の関心の一つは、非言語コミュニケーション。土俵でガッツポーズを嫌がる人が、サッカーのゴールが決まって抱き合うさまを違和感なく受け止めているということを、とてもおもしろく思っています。
我々が学生の頃は、講義中に飲み物を飲む学生はいなかったと思うけど、ペットボトルをグビグビやりながら授業を聴くってのも非言語コミュ?
もう誰も注意しないけど、今でも小生はかなーり不愉快です。
非言語コミュニケーションの面白さは、発信の主体が意図したわけではないものが、相手にあるメッセージとして受け止められることがままあるという点かと思います。
学生は決して先生に失礼なことをしているとは思っていないでしょう。喉が渇くから飲んでいるだけで。それを授業者側はかれらからの何らかのメッセージと受け止めがちなことが両者の不幸ですが、学生に聞いてみてください。
人が話しているときに(こっちは飲んでいないのに)そうやるってどうよ、って。自分たちには違う視点からものを見る訓練が足りないということに気づいてくれる(かも)。それはきっと法学教育にとっても大切なことではないかと愚考しますが。
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