兵庫県知事が発言したという「関東大震災がチャンス」という表現。おせじにも上品とは言えないが、その趣旨はおおよそわかる。
ならば、チャンスと言わずに、契機とか背景とか、もう少し中立的な言葉を遣えばよかったのに…。
とりわけ外来語は、輸入されたあとに意味が変わることがあるので、適切に扱うのがなかなか難しいと思う。
たとえば、ドイツ語からの外来語を挙げれば、カルテ(Karte):広くカードの意味だが、輸入の経緯からか日本ではもっぱら医学用語。あるいは、ゲレンデ (Gelaende):英語のgroundにほぼ相当する言葉だろうが、なぜか日本語では、スキー場にのみに遣われる傾向あり。
かくも言葉が一人歩きする(可能性と)危険性を知ることができる。「言葉の世界の住人」である教育関係者も日頃のトレーニングを通じて、短い時間の判断でよりよい言葉選びができるようにありたいと思う。ことばの象徴的意味の強いことを感じさせられた事例だった。
2 件のコメント:
政治家や官僚や首長などが「舌禍事件」を起こしたあと、釈明会見などで「皆さんの誤解を招いて申し訳ない」などといったコメントを発表することがありますが、私は何よりこの「誤解」という表現に腹が立って仕方がないのです。「誤解」でないからこそ問題になっているのであって、それを糊塗するような言いぐさはもっと厳しく追及されるべきだと思うのですが、何故記者たちもそこを衝かないのだろうか、と。日本語が時代によって揺らいだり変化したりすること自体は仕方がないとは思いますが、特に権力を持つ側にある人の、事実を歪曲するような物言いには、もっと敏感であらねばならないと思うのですが。
ところでお引っ越しおめでとうございます。これからも読ませていただきますね。
sugarさま、
コメントをありがとうございます。
そうですね、「誤解」という表現について。発言者はほぼ間違いなく、自分の言葉が誤解されていないことを知った上で、そのように述べているのだと思います。
あるいは何度も遣っているうちに、「問題発言をしたら、そのように答えるべし」とオリジナル辞書ができてくるのかもしれませんね。
人は言葉を通して考える、考えたことを踏まえて行為する、と捉えればどんな辞書を自分が持っているのか、とても大切なことと思わされます。
これからもご贔屓のほどを、どうぞよろしくお願いします。
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