2009年3月18日水曜日

これで効率的に仕事ができるの?

ある公立中学校を訪れることがあった。

とある会議のため、誰もいない職員室だったが、校長先生にお願いして少しお邪魔した(はじめ、教室を見せてほしいということで鍵を取りに行った先が職員室だったため、結果的に見せてもらうことになった)。

自分の仕事と、勤務の形態も環境も大きく違うので一概に評価はできないが、あまりの整理のなさに、目が点になったというのが正直な感想だ。

きれいに収められた机もごく一部にあるが、多くの机は少なくとも表面の半分、いちじるしい場合は8割くらいを占めるかと思われるほどにモノが溢れていて、とても仕事をする場所があるとは思われない。生徒のファイルやプリントもあるからやむを得ないのかもしれないが、それにしても混沌としすぎているように思う。冬なのになぜうちわがあるの? これだけ積み上がったら、下の分はほぼ死蔵では? と疑問がわく。

学級担任の場合は教室で仕事ができるのかもしれないが、これだけうず高くモノに埋もれていたら、向かいの人の顔を見ることは不可能だ。何のためにここに集まっているのか、その効用がきわめて疑わしい。

生徒たちに「整理・整頓」を指導しているならば、すでに矛盾しているし、そうでなくとも、忙しい毎日ならばもっと資料や情報を取り出しやすく、てきぱきと仕事ができるように環境を整備すべきではないだろうか。これでは、モノを探すだけで結構な時間がかかるように思う。

そして、職員間のコミュニケーションを良好に保つという観点が欠落しているとも感じる。何気ない会話ややりとりが情報や状況の共有を促し、「ヒヤリ・ハット」(ヒューマン・エラー)を抑止するにもかかわらず、これではせいぜい両隣と顔を合わせるのが関の山だ。こんな状況で「教職員が一致団結して」などできるのだろうか。

他の学校と比べても大きいと校長がいうこの職員室には回りにロッカーも配されているが、あまり活用されていないらしい。

あるいは、生徒がこの部屋を見て、教員を尊敬できるだろうかという素朴な疑問もわく。とくに生徒指導にしたがうなんて気持ちが起こりようもないだろう。ハロー効果のことを思い出してほしい。私の偏りがありすぎるのかもしれないが、とにかく汚いのである。

はたまた、学校の自主性・自律性というのならば、教育委員会からのあてがいぶち?、あるいは「何となく買う」のを止めて、みんなでどんな職員室にしたいか、ちゃんと話し合いをしてよい仕事のできる職員室経営について考えてみようよ(学校事務職員が牽引役、がんばれ!)。

「これでも(あるいは、こうだからこそ)いい職員室なんだよ」と誰か教えてくれませんか。わたしには、凋落しつつある学校を象徴するようにすら感じられた、とってもがっかりな日だった。学校の職員室ってどこでもこんな感じなの?

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