2009年3月7日土曜日

品のない講演

ある審議会のメンバーいう人の話、きいてん。

新しい学習指導要領のことやったけど、驚いたわあ。だって、「要は昔の先生、昔の学校に、ってことで、新しいことはないんです」って言うんやから。

せやったら、昔みたいに、暴行しても
体罰やいうて平気やった先生や、成績の説明をせなあかんなんて露ほども考えへんかった学校に戻ってかまへんってことかあ。えらいこと言うなあ。

学校にそう言うんやったら、万全のサポートで学校を守ってくれるんやろね。「モンスター」なんて許されへんし、外部評価なんて必要ない、情報公開なんかも何のこっちゃ、って感じやからね。学校が努力と信念に基づいてしっかり子どもの育ちのために頑張ればええんやって。もちろん、「個に応じた指導」とか「心のケア」なんてないわ。そんな言葉なかったしね。

いまはもう昔に戻れへんから、あれこれが問題になってんのに、無理を承知で「昔に」っていう話なんやろか。昔のつもりでやってたら上手くいかへんようになったから、教育改革ってうるさい話してきたんとちゃうのん。言うてはることが論理的やないから理解できひんで。まず話する自分の頭をようせんと。

それにしてもこの御仁、話に実に品があらへん。ちょっと前の流行言葉で言うたら、まったく品格が欠けとる。

「酒が呑めるからって、…(って職)に就いた人がいるんです」とか、「単細胞の…」とか、聞いてる方が恥ずかしくなるようなことをどんどん仰る。旅の恥はかき捨て、いうことやないやろね。たくさん人いたけど、ワシだけやろか、自分が毒されている感覚にとらわれたで。う-、ほんまに気分悪くなったわ。こんだけ人から元気を奪う話って、何やねん、ほんまに。

人間的成長て何度も言うてはったけど、人間、長いこと生きてたら成長するっちゅう訳ではないことがようわかる例やった。「誰とは言わんが…」と言いながら、わかる人にはわかる言い方もする。言いたいんやったらちゃんと言わな。言わへんのやったら言わんとき。どっちやねん。ほんま姑息やなあ。

敬老の日もある日本なんやから、年とるほど慎み深ならなあかん。回りが困るやんか。じゅうぶん年とってんのに、まだ「あの人、えらいなあ」って思われたいんやね。自分にそんなに自信ないんかな。「もっとほしい」っちゅう飢餓地獄に堕ちんように、ワシはちょびっとずつ頑張りながら年とるで、って思わされたわ。まさに反面教師やなあ。

それにしても、こんな感じで公教育が決まってんのかなあ。それって最初から失敗してんのとちゃう?

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