2009年8月20日木曜日

風景と対話する

NHK教育番組で、福井県に住む100歳の画家、豊田三郎さんのドキュメントを観た。

70歳を越えてから、青年からの願い、画家になりたいということを実現された方で、今も毎日、絵を描きに出かけられている。その中に、印象深い場面が数多くあった。

その一つ。絵を描こうとする対象に向かって、描こうとするその度に頭を垂れるということ、描かせてもらう、そして風景である相手と対話するのだとおっしゃる。

もう一つ。遊びで描いてるんじゃない、命を懸けて描いてるんだ、と言われる。豊田さんがもっとよく描きたいと思われる杉の木は、彼の父が植林に精力をつくしたものだという。

前者からは、相手をわかろうとすることは相手と対話することに他ならないこと、つまり、自分を現さずに相手を理解できるはずもないということ、なぜなら、相手はそういう自分に見せてくれるものがある(あるいは、ない)からだ。

後者からは、人生の最後に局面に自分が臨むべきところに戻るということだろうか、と思わされた。

自分が40歳代後半を過ごす今、長く生きるほどに、学ぶことの多いこと、謙虚であるべきことを強く感じさせられる。学ぶ意欲とは相手や事物に対する関心が高いことの証し、それは「わからない」ということなのだろう。「わからないことを自分は知っている」と述べたソクラテスの言葉はここにも当てはまる。

そして人が還るべきところ、これままだとんと見えない。自分にはこれからが修行の始まりということだろうか。

みなさんの人生の季節は、いま何月ころですか。わたしは、そうですね、年はくってもまだまだ若輩、5月の気分。わからなさを楽しみながら、大いに学びたいと思っています。

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