今朝のNHKニュースで、「つまづく」というテロップを見た。
辞書的には、「つまずく」がまだ正統のように思うけれど、だんだんと標準が変わってきたのだろう。
同じようなものに、「少しずつ」と「少しづつ」がある。ある人の説明では、戦前は「ずつ」だったものを戦後になって「づつ」に変えたという。実にややこしい。
そう言えば、「全然」が否定的な意味合いと一緒でなければ遣えない(「全然できない」といった)といったルールもここ一世紀以内の「最近」のことで、夏目漱石の坊っちゃん(1906年)には「一体生徒が全然悪るいです」と肯定的に書かれているという。
ことほどさように、言葉の使い方や言葉そのものが比較的早いスピードで変化するものである。にもかかわらず、学校などで、これが正しい、これは間違い、と教えようとすること自体が問題ではないだろうか。
「正解」「正答」と言えるものもそれなりにあるのだろうが、数十年、早ければ数年あるいは半年のうちに消費されて消えてしまう「常識」。その数倍も生きようという人間にとって「基礎・基本」とは、「いずれ変わる」ということを学んでおくこと、とも見なせるだろう。その人にとっての得心や納得は、与えられた命の長さに応じるのだから。
「こっちが正しい」という主張は、「そういう見方もある」というくらいに収まってくれていれば可愛いが、振り回されるとしんどいものだ。対話や理解は、違うことを前提に成り立つとも言える。違いを楽しめるゆとりや相対感覚を持ちたいと思う。
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