2010年1月24日日曜日

4本中の3本は、75%ではなかった

しばらくご無沙汰しました。

今週は拙宅の犬、Maiのことであたふたしており、落ち着かずでした。

というのは、以前からちょっと変だなあとは思っていたのだけど、右の後ろ脚がぎくしゃくというか、不自由な感じで歩くことがあり…。

それが、とうとうかどうかはわからねど、その脚を地面につけて歩けなくなり、3本でよろよろという状態になってしまったのです。階段を下りることを嫌がり、それでも下ろしたら身体のバランスを保つことができずに、どすんと落ちてしまったことも…。 骨折? 内出血?…素人が頭を巡らせても仕方がなく、10年以上前に、実家に預けていたときに行ったことがあるよと聞いた獣医に連れて行った次第です。

ところが、ところが、血液検査、点滴、フィラリア検査、レントゲンと、あれこれ検査や治療をしても、原因は見つからず。

「血液検査でだいたいのことはわかりますよ」「犬には辛いだろうけれど、レントゲンで見れば判断できるでしょう」などと豪語した(はっきり言わせてもらおう)ヤブ獣医は、結構な額の治療費を請求しながら、何も言えず。あなたねえ。

なんせ、患畜に触ろうとしない御仁で、ほんまに診る気あんのか、と毒づきたくなるような状況ですらあったんよ(急に関西弁で恐縮)。4回目はMaiを連れて行かず、レントゲン結果の説明を聞きにだけ行った。「折れてはいませんね」。はあ、まあ。画像を見れば素人でもおおよそわかるわな。

最後の台詞は「安静にしてもらったほうがいいでしょう」やった。それくらいやったら、ワシでも言えるぞ。そんなとこに、乗りかかった船とはいえ、何度も行ってしもうた。情けない。

とまれ骨折はなし、血液検査でも特段の異常なし、はわかったので、しばらく様子見です。触っても嫌がりはするが痛がるようには見えず、暖かく血流の問題も感じられず。

レントゲンを撮られた日のMaiはすっかりぐったりしていたけれど(無理な体勢を取らせるので)。今日あたりは元気になり、徐々に慣れてきたのか3本の脚でぴょこぴょこ朝も歩いてきました。良く食べ、良く水も飲み、排泄もよく、おとなしく眠り、と快調だけど、歩く格好は痛々しい。4本が3本になったら、その機能は半分にも遠く及ばんなあ。筋肉が落ちないように気をつけたいと思います。

獣医さがしは難しい。良い獣医さんはどこにいるんや!?

2010年1月16日土曜日

「揺れなきゃだめだ」

阪神大震災15年目が目前、テレビが震災特集を報じていた。

そこに映った宮大工の一言。「揺れなきゃだめだ」と師匠から教わったという。
法隆寺など1000年を越えるものすらある木造建築に、こういう智恵が含められていたことに驚かされる。

「揺れ」が環境の変化に対応することだと捉えれば、組織も似たようなものと見ることができるだろう。組織の外そして中の環境の変化がしばしば起こることを前提に、しなやかなことがきわめて大切なのだとわかる。

組織を「一丸となって」と強固にイメージするよりも、ゆらぎを自らも起こすことができるようなものと喩えること、環境変化がより激しい学校という場を捉える上でより説明的ではないだろうか。

2010年1月11日月曜日

ここまでくつろがんでも…


ねこフリークのみなさま、こんにちは。

まだまだ寒い日が続きます。

拙宅のねこは、ストーブをつけると我先にとその前に敷いてある座布団を占拠しますが、気分屋なのか、いつもという訳ではありません。気がつけば2階に上がっていたり、ソファにいたり…。

その中でも、ほぼ間違いなく、いつもストーブの前にいたがるのが、今年10歳を迎える「あずき」です。

くつろいでますなあ。まあ気持ちがいいんやろうね(^^;)。

いつもの通り、飼い猫ばかのお話しでした。失礼。

授業のバランス

2回生がほとんどの授業にて課した学生のレポートを読んでいる。

課題の末尾にこの授業に対する評価を求めているが、「驚きの連続だった」「考える授業だった」「先生の授業はいつもみんなをとてもひきつけてくれるので、周りがとても静かでみんなが集中していたと思います」「一度私の頭の中で確立していた教職または教育のあり方というのものが壊れていって、この講義を受ける度にまた構築されていく、不思議な感覚だった」といった記述を、大変嬉しく思う。こちらのねらいをほぼ受け止めてくれているからだ。

教えられるだけでは学べない、しかし教えられなければ学べない。この両者のギリギリのところを何とか歩くことができていれば及第点と考えているが、教員が一方的に話し、黙ってノートを取るスタイルにまったく慣れた学生たちにとって、少なくとも授業のはじめ数回は相当の混乱や困惑があるようだ。

「学生が自ら学ぶ」とほったらかしではなく、かといってかれらに考えさせ、振り返らせる時間やヒントを与える間もないほどに教えるのでもなく…。この両義的な姿を自分の授業でそれなりに表現できるようになるまで、私は長い時間を要したのだった。

2010年1月9日土曜日

嬉しかったこと

週に1度、非常勤先での授業がある。2クラスを担当しているが、うち1つは100名を超える大規模なもの。色画用紙に書いた自分の名札を毎回出すように言うものの、授業者が名前を覚えるのは容易ではない。

このクラスの一人が、「レポートを書いているのですが、読んでもらえませんか」と12月に話をしにきた。聞くと私の授業で触発されたことがあり、自分で調べてみようと思い立ったという。

どうなるかと思っていたら、ちゃんと持ってきた。A4で15枚ほどのボリュームである。

「おわりに」から目を通すと、女性教師の女子生徒と男子生徒への接し方はおそらく違う、という私の授業での言葉から自分のレポートが始まった、とある。読み進むと、女性教師は感情的でヒステリックなイメージが自分の中にあったので、女性教師があまり好きではなかった、と自身の経験が綴られている。なるほど、だから先の発言が自分の興味に重なったんだなと合点できた。

彼女の持ってきたレポートはこの授業の成績と何ら関係ないし、他の授業での課題でもないという。自分で関心を得て、手探りながらも文献にあたり、自分なりにひとつまとめたことを高く評価したい。また、そのきっかけに自分の授業がなりえたことを嬉しく感じている。

2010年1月8日金曜日

「反面教師」健在

正月特集の流れかどうかはわからねど、テレビの長時間番組、かなり過激なダイエット番組を見た。

1ヶ月やそこらで数十㎏体重を落とすという試みだが、あのやり方はあまりに無茶ではないかと家人に言うと、あれほど体重がある人ならば大丈夫では? と返す。1ヶ月なら3㎏も減れば、身体の変化としては結構大きいと思うのだけれど、本当にあとあと何もないのだろうか。

とまれ、数ヶ月でウン十㎏を落とそうとする人の努力は涙ぐましい。今それほど頑張れんやったら、なんでそうなるまで増えたんや、と思わず突っ込みたくなるが、覆水盆に返らず、仕方がない。まあやるんやったら気いつけてね、と願わずにはおられない。

さて、そこで気づいた。ダイエット番組って、痩せるための努力に感銘を受ける面もあるだろうけれど、「あそこまで増えたらあかんなあ」とか「何でそこで食べるんや」といった気持ちが多分に生まれないだろうか。

あるいは、部屋や家が散乱する「ごみ屋敷」を特集する番組を見て、「あそこまでは汚さんとこ」とか「恥ずかしないようにしよ」といった気持ちを持つことはないだろうか。

もし、そうした面もあるならば、それは立派な「反面教師」と言えるだろう。当人のつもりとは別に、反対の行動をとろうとする契機を与えてくれるものだ。

教育論は多分に「良い」ことを示すことで、それを模倣あるいは規範にしようという論理を構成しがちだ。これとはまさに逆説めくが、この反対「良くない」ことを示すことで、結果的に望ましい効果を期待することもできるのではないだろうか。

おそらくは。順接と逆説の両方がいずれも存在すること、そのややこしさが教育の不思議さやおもしろさではないか、と今さらながらに感じている。

2010年1月7日木曜日

全身スキャンに賛成?

昨年末、アメリカ行きの飛行機の乗客となり、身体に爆薬物を巻き付けたテロが、間一髪のところで未遂に終わった。

現在、空港で乗客の全身スキャンを行う装置を広範に導入しているのは唯一アメリカであり、この他にイスラエル、ロシア、オーストラリア、スイスにおいて、路線や機種を限定しながらも全身スキャンが実施されているという。

論点は大きく2つあり、その一つは、スキャンによる健康被害の可能性についてだが、より難解な点はもう一つ、個人のプライバシー保護を危うくするのではないか、ということだ。

スキャンによって、義手や義足、あるいは人工臓器などが赤裸々となることは、恥ずかしさの限界を超える、という意見はもっともだ。その一方で、係員による身体検査しかなければ、非金属性の武器がゲートをすり抜ける可能性がより残る。むろん、このスキャンによってテロを(ほぼ)完全に抑止できなければどうするのか、という次の問題も挙げられる。

これも正解のない問題だと言えるだろう。あなたはどちらを選ぶだろうか。それとも第三の道を見つけられるだろうか。