正月特集の流れかどうかはわからねど、テレビの長時間番組、かなり過激なダイエット番組を見た。
1ヶ月やそこらで数十㎏体重を落とすという試みだが、あのやり方はあまりに無茶ではないかと家人に言うと、あれほど体重がある人ならば大丈夫では? と返す。1ヶ月なら3㎏も減れば、身体の変化としては結構大きいと思うのだけれど、本当にあとあと何もないのだろうか。
とまれ、数ヶ月でウン十㎏を落とそうとする人の努力は涙ぐましい。今それほど頑張れんやったら、なんでそうなるまで増えたんや、と思わず突っ込みたくなるが、覆水盆に返らず、仕方がない。まあやるんやったら気いつけてね、と願わずにはおられない。
さて、そこで気づいた。ダイエット番組って、痩せるための努力に感銘を受ける面もあるだろうけれど、「あそこまで増えたらあかんなあ」とか「何でそこで食べるんや」といった気持ちが多分に生まれないだろうか。
あるいは、部屋や家が散乱する「ごみ屋敷」を特集する番組を見て、「あそこまでは汚さんとこ」とか「恥ずかしないようにしよ」といった気持ちを持つことはないだろうか。
もし、そうした面もあるならば、それは立派な「反面教師」と言えるだろう。当人のつもりとは別に、反対の行動をとろうとする契機を与えてくれるものだ。
教育論は多分に「良い」ことを示すことで、それを模倣あるいは規範にしようという論理を構成しがちだ。これとはまさに逆説めくが、この反対「良くない」ことを示すことで、結果的に望ましい効果を期待することもできるのではないだろうか。
おそらくは。順接と逆説の両方がいずれも存在すること、そのややこしさが教育の不思議さやおもしろさではないか、と今さらながらに感じている。
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